|
|||||||||||
|
この『生活の中の十字架の道』は、マリアの御心会のインド北管区から送られてきたニュースレターからの抜粋です。ムンバイの共同体でこのテキストが紹介され、会員たちからの、「もっと多くの会員たちに広めたい」という希望にそってニュースレターに載ったものを使わせていただきました。(実は、昨年の四旬節に送られてきたのですが、翻訳が間に合わなかったので今年の四旬節になりました) 本文中のアルファベット表記はヒンディ語です。読み方をカッコ内に入れました。また、ヒンズー教の神々に関する記述などでは、絵などで注を加えました。 このテキストが、少しでも私たちの四旬節の糧になりますように。 -*- -*- -*-
生活の中の十字架の道I. イエス、死刑を宣告される。
この状況において何が真実なのか? 宣告は、ある人が力を持っていて、他の人が無力であることを意味している。 誰が力を持っているのか?「彼を十字架につけよ」と命令を出す人か? または、「だれも私から私のいのちを取り上げることはできない。私は、自分のいのちを保つ力と再びそれを取り上げる力を持っている」言うことができる人か? 神よ、この決定的瞬間において、私たちに、私たち自身の真実でない世界へのより深い洞察を与えてください。 私たちに、誰が力を持っている人で、誰が本当に無力な人であるかをわからせてください。 真実の姿をあらわしてください。愛すべきその真実を愛することをわたしたちに教えてください。そうすれば、私たちは見えるようになるでしょう。 II. イエスは彼の十字を取り上げる。
SANTOSH(サントシュ) - 満足 快く苦痛を受け入れること。それは、愛していた人々から見捨てられ、軽べつされて、拒絶されることを意味していた。 満足。 私たちのこの言葉についての理解はどれほど小さく狭いものだろう! 私たちは、自分が存在し、喜び、満足、自己達成を与えるであろうすべてを持ちたいと望み、すべてが私たちとうまくいく時に、私たちは自分が満足しているとみなしている。 キリストは、満足が何を言おうとしているかを私たちに示す。 それは、おん父のみ旨を行うことである。 「私は父のみ旨だけを行う」。 私の食物と私の飲み物は、父のみ旨を行うことである。 神よ、私たちが誤って、私たちに満足を与えるであろうと思われるすべてのことを捨てることを教えてください。 そして、ためらわずに完全に、何も残すところなく、あなたが十字架の道の途中で休まれたように、休むためには後ろに戻ることなく心からあなたの仕事を受け入れることをできるように導いてください。 私は何と言うべきだろう? 「父よ、私をこの時から救ってください」だろうか? いいえ、私がここに来たのはこのまさしくその時のためでなかったか。 父よ、あなたのみ旨は行われるでしょう? ・・・それで、私は満足です。 はりつけの責任者たちは、イエスを引きずりだし、十字架の道へ押しだす。 III. イエス、はじめて倒れる。 |
|||||||||||
| HOME>特集 |
Copyright(c)2007 Daughters of the Heart of Mary All rights reserved.