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ド・クロリヴィエール師創立の二つの修道会にみるイエズス・マリアのみ心への信心

Ⅲ 新しい視野

ド・クロリヴィエール師の著作のうちに伝えられたその霊的体験の豊かさは、それまでの伝統的考え方を凌駕する独創性を見せています。

師は自分の信心を次のように明確に定義します。

「イエズスの聖なるみ心の信心は特に内的です。なぜなら、その対象は人となられた神の最も内奥の思いだからです。そして、この信心は、人々に同じ思いを吹き込むことを主な目的として目指しているのです」。

師にとって、信心の対象は、ド・ガリフエ師が強調したような器官としての心臓であることは、ほとんどありません。この面を否定するわけではありませんが、それを均衡のあるキリスト論の中に位置づけます。

「イエズスのからだの最も気高い部分である心臓は、たとえあがむべきものではあっても、私たちの信心の外的で感覚的な対象にすぎません。その霊的な主な対象はイエズスの愛であって、心臓はその象徴です。つまり、全く愛に燃え立つイエズスご自身が対象なのです」。

心臓はおん父と人々へのキリストの愛を明らかにする役割を持った象徴です。人間としてのキリストを映し出すものです。

師はまさに三位一体の神秘と、全体として捉えられた救いの歴史に準拠して、イエズスのみ心を位置づけています。

「聖三位一体の御三方はイエズスのみ心をお愛しになられます。人となられたみことば、子である神がそれを愛されるのは、それはご自分の心であり、又、ご自分が結ばれた人生の最も気高い部分として、それをもって、おん父に栄光を帰し、おん父の正義の要求を完全に満足させ、世をあがなわれたからです。父である神がイエズスのみ心をご自分の独り子の心として愛されるのは、ご自分が永遠からの発生の中でおん子に伝えられた類似と完全を、そのうちにお認めになるからです。実際、人となられたおん子はそれらをみ心のうちに伝えられたのです。聖霊である神はイエズスのみ心を、ご自分の発出の源である方の心として、そのみ業のうちで最も完全なものとして、そのすべての賜物の中心として、又、その憐れみの普遍的な道具として、更にその最も厳かな神殿として愛されます」。

ド・クロリヴィエール師は、三位一体の第二の方が、主として御受難の神秘の中で、どのように私たちをみ心に導かれるかを力説します。しかし御受難の神秘をみ心の理解の唯一の場とはしません。語受難を救いの歴史全体の中に位置づけます。マルガリタ・マリア以来、克明に取上げられてきたあがないの面よりも、むしろ苦しむキリストの思いと選びを自分のものとすることを強調します。

感謝の祭儀は、御受難とともに、キリストのみ心が明らかにされる特別な場です。

「けれども、キリストの愛の効果がもっとも華々しく現われ出るのは、その苦しい御受難と、祭壇上の尊い秘跡をおいて他にはありません。これがみ心の二つの大いなるしるし、二つの記念碑、いわば、二つの傑作です。それらのうちでこそ、私たちの精神は安らぎ、私たちの心は愛に燃えたたなければなりません。十字架と祭壇は、イエズスのみ心がどれほどに私たちを愛されたか、また、私たちが今度はどれほどみ心を愛さなければならないかを、私たちに告げるはずです」。

マリアのみ心の役割は、ド・クロリヴィエール師によってきわめて繊細に感じ取られています。その役割は救いの計画の中でのおん子の役割に結び付けられます。

「人類の救いに関する大事が取り扱われるのはマリアのみ心の中でです。」。

神が人となられたのは聖母の同意を得てのことです。私たちの祈りが神のもとに届くのは聖母を通してです。

「王である神が私たちのすべての願いをお聞ききとどけくださるのはマリアのみ心に免じてです」。

このことが可能なのは、
「二つのみ心は本来、一つに結ばれております。すなわち、イエズスのみ心は全面的にマリアのみ心のうちにあり[・・・]マリアのみ心はそのおん子のみ心のもっとも完全な写し」だからです。

ド・クロリヴィエール師はこの信心のあいまいな点を把握し、その神学的土台を新たにして、将来のための視野を開きました。キリストと聖母のみ心のこの新たな認識が可能なのは、ただ聖書についての師の深い知識と聖イグナチオの霊操の真正な体験による以外にはありません。


現在、すでに200年を過ぎたマリアのみ心会は前述のカリスマに従って生きているのですが、そのカリスマは、キリストとマリアのみ心が、必ずしも明白にあらわれていないとしても、根本的な地位を占めています。

当会員の生活は、内的生活と類似と一致の神秘であるイエズスとそのおん母のみ心の観想に根ざしています。こうして、会員たちは自分自身について全面的に責任を持つようになります。実際、会員たちは、きわめて多様ではあっても、それぞれの人間的才能のすべて、勢力のすべてを社会と教会のため、もっとも緊急な必要に注意深く耳を傾けながら、役立てるように召されているのです。

修道者と識別できる外観と特定の使徒活動を持たないことによって、会員は社会のただ中に、あらゆる社会層に、そして修道生活が認められていない国にも、修道女に好意的でなく、また閉ざされた領域にも、いたるところで人々とともにいることができます。

また、特有な事業に縛られることもありません。むしろ、ただイエズス・キリストを告げ知らせる目的をもって、識別するところにしたがって、事業を創始したり、終わらせたり、他の人々に譲渡します。

この柔軟さと自由はますます主に類似してゆくことからの実りです。

会員の共同生活もまた、この類似のしるしに刻まれることを目指します。すなわち、会員は必ずしも同じ屋根の下で生活はしなくても、初代のキリスト信者に倣って「心も思いもひとつにする」よう促されているのです。

ド・クロリヴィエール師によって把握され、実践されたような、キリストと聖母のみ心との交わりが、マリアの御心会員にすすむべき道を開いているわけですが、この道を歩むことによって、会員は現代でもなお、とどまることを知らず福音に従い、あらゆる情勢の中、あらゆる社会層の中で、修道者の真髄を生きることが出来るのです。

(結)(CR)



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