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2006年夏フィリピンの思い出 通訳!???
いただいたプログラムに4人の通訳担当者の一人として私の名前が載っていること、そのこと自体が驚きでした。この春まで半年間お世話になったイギリスの姉妹方のお顔が目に浮かびました。あの方たちがもし“ナオミが通訳をする”と聞いたら、私以上に驚くに違いありません。 ナオミがどれほど英語で苦労していたかよーくご存知なのですから。「ま、いいか。どうせ補欠の補欠として名前が載ってるだけなんだから気にすることないや」というのがそのときの気持ちでした。 でも様々な事情によって、結局通訳の仕事が私に降ってきました。それも、よりにもよって、外部からお招きした講演者シスター・ギアの通訳です。当日の朝、Fさんと私は、Tさん、Sさん、Cさん(三人ともが私たちにとって現在または過去の長上方です)に呼ばれて、この講演の通訳をするように言われたのでした。 できませんとお断りできるような状況ではありませんでした。私は心の中で主に話しかけました。「私のすべてをご存じで、私の英語力がどの程度かもご存じのあなたが、それでもやれとおっしゃるのならば、私はあなたに従います。」そして失敗して恥ずかしい思いをする覚悟を決めました。 Sさんにはくれぐれもお助けください、とくに間違いを訂正してくださいとお願いしました。実際にやってみて、私が全然使えないということがわかったら降ろしてくださるだろうと思いました。 緊張していたので、初めてお目にかかったシスター・ギアにどのようにご挨拶したかを覚えていません。ただ、シスターも、そして姉妹方もやさしく励ましてくださったことだけは覚えています。 会場前方の演壇にシスター・ギアと並んでその横に、Fさんとともに座らされたとき、私の緊張はピークに達しました。Fさんというかけがいのない仲間が隣にいてくれたのは心強かったのですが、それでも私は震えていました。ただ「神様のためにベストを尽くそう」とだけ考えようとしました。祈るしかありませんでした。 それは、奇跡でした。 神様は私の英語力をドンと上乗せしてくださいました。午前中のプログラムの前半が重大な失敗なしに終わって休憩時間に入ったとき、私は力をすべて使い果たした感じがしました。でもそれと同時に、不思議な力が私の内から湧いていることも感じていました。 それはまるでご聖体をいただいたあとのようでした。食堂に行ってお茶を飲むよりも、お聖堂に行って感謝を捧げ、引き続き助けてくださるよう祈りたい気分でした。 休憩をしたからといって、緊張がなくなるわけではありません。通訳をするときは、お話に精一杯集中しました。このように長時間集中し続けたことは、祈りの中でさえ経験したことがありません。お話の最中に、ほんの一瞬自分のことを考えてしまったときがありました。 本当に一秒ぐらいのことでしたがシスターのお話がまったく耳に入らなかったことに気づき、その後はけっして気をそらさないように注意して集中するようになりました。 以前読んだ祈り方の本に「“今”にとどまりなさい」と書いてありました。そして絶えず“今、この瞬間”に留まるための助けとして、周囲の音に集中するとか、皮膚の感覚に集中するとかの方法が紹介されていました。 限られた英語力で大切な講話の通訳をさせていただくためには猛烈に集中しなければなりませんでした。結果として私は“継続的に、今、に留まり続けた”ことになります。通訳が終わって我に返ったとき、まるで祈った後のように感じたのも当然だったのかもしれません。 私にとってこの経験は“神体験”でした。あの場で私ができたことは、本来の私の実力をはるかに超えたものでした。聖霊降臨の日のように、私の中で聖霊が働いてくださったのです。 神様がそれほど助けてくださってもなお、あれは貧しい通訳でした。単語を知らないばかりに、あるいは聞き取れなくて、訳せなかったことがたくさんあります。でも、どなたも私に文句をおっしゃらず、非難もなさいませんでした。皆さん本当にやさしくて、ねぎらいと励まし、お褒めの言葉だけをくださいました。私の通訳を通して講話を聞くしかなかった方々には本当に申し訳なく思っております。 この経験を通して学んだことは、主のために最善を尽くそうと努力すれば、主は必ず足りないところを補って助けてくださるということ。神様はいつも私たちの信頼に応えてくださるということです。神に感謝。 そして、謙遜と忍耐によってこの貧しい通訳を受け入れ、やさしく励ましてくださった姉妹方にも心からお礼申し上げます。どうもありがとうございました。 ナオミ |
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