私たちの小さな共同体が、カトリック者が少なく改宗者も数少ない(1年1人の宣教者につき1人)日本の地において定着する歩みは遅遅としたものである。 それにまず第一に言葉を習得する必要がある。10年かければ自由に使えるようになるというこの言葉の、第一の基本を習得するために不可欠な2年間をかけることのできた人は、今までのところ私たちの中にはいない。あらゆる年齢、人種、言語を持つ宣教師たちが童心に戻って、とても仲良く話したり読み書きをしているフランシスコ会の暖かい学校も、一人また一人とやめていかなければならなかった。 習得にはおそらくまだ何年もかかるだろう。そして、ルロワのように英語を織り交ぜたいくつかの日本語の単語だけで学生の何人かに真の影響を及ぼすことができるほどの「カリスマ」を皆が持つことも不可能である。 読み書きや、電話をしたり東京を歩いたりすることまで日本人に助けを求めなければならないというのは、謙遜の実践、しかもおそらく主の栄光のために実りのあるものである。それだけだと思われるかもしれないが、別のお恵みもある。レクレーションの時間に、日本語からフランス語に、英語に、ドイツ語に、さらにはスペイン語にまで言葉が移り変わっていくことである。日本語がこの休息時間では正式な共通言語なのだが、話せない何人かのために私たちがずっと通訳を続けることはできなかったし、数少ない私たちが全体の話題についていくのも不可能である。また、集まりも国際的なものである。講話は立願者にはフランス語で、一人の修練女には英語で、もう一人には日本語で行われる。
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