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日本支部創立の頃 (マリアの御心会本部への報告書より)(5)

 1960年4月15日の聖木曜日、5人の最初の学生たちが到着し、聖金曜日には4人が加わって、皆でご復活の日を迎えることになった。私たちはこの聖週間をカルメル会的な観想のうちに過ごすことはできなかったが、私たちは潜心によってこのときを最善に生きるように努めた。この日本で始めての復活祭に私たちの喜びは生き生きと満たされていた。私たちと女子学生との最初の出会いがあったからである。一人の寮生が私たちと共に聖土曜日の典礼に参列した。外に出たとき彼女はラテン語と日本語で書かれたミサ典書を指で見せて「デオ・グラチアス」と言った。彼女は後日信仰を得、12月8日にマリア・インマクラタの名で受洗した。
 少しずつ生活が十分に組織だったものとなってきた。寮はたいした困難もなく運営できていた。寮の開始の心配の次には、新しい建物の最終的な計画の詳細を練ることが心配事となった。そのために有能な援助を惜しまなかったブラザー・グロッパーはいつもこう言っていた。
 「すべてのことを細心の注意をもって見てください。鉄筋コンクリートの建物では後から何も変更することができないのです」。
 残念ながら私たちは日本語だけで書かれた不可解な記号や、時には解釈するだけでも難しいようなデッサンの問題を突き止めるほど十分な注意を払っていたわけではなかった。台所の羽目板の上全体に示されて、私たちもきっと明るいものになるだろうと楽しみにしていた窓が、実は壁のずっと上の天井あたりに取り付けられる38cmの開閉小窓のようなものであることがわかった日、私たちはこれらの大きな青刷りの紙に隠されていて後で暴露されると考えられる事柄を考えて身震いした。が、遅すぎた。それに建築家に台所の窓のことをわかってもらうことは難しかった。というのも台所は通りに面しており、日本人にとってはすりガラスを通しての人影でさえ、外を通る人から見えるというのは非常に不愉快なことなのだ。しかし最大の杜憂は、当初考えていた見積もりを大幅に越え、総長がこうして日本宣教に費やすための負担を思い浮かべることだった。
 5月6日金曜日、私たちの小さな聖堂でのミサが静かな感動のうちにたてられた。初めのうちは携帯用の祭壇を使っていたが、後になってかえでの木でできたシンプルな祭壇を使うようになり、ブロンズの装飾のある聖櫃が置かれた。アメリカ人の会員から総長の祝日に送られたローソク立てと立派なキリスト像が十字架と主の臨在を輝かしく浮き立たせていた。毎朝、洗礼を受けた女子学生(21人中5人)が熱心にミサに出席し私たちを感化した。夜の祈り(日本語による朗読と短い祈り、聖歌、もちろん全部日本語である)には未信者も多く参加した。

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