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日本支部創立の頃 (マリアの御心会本部への報告書より)(10)

 1965年。この2年間のうちに私たちの小さな共同体もずいぶん様相を新たにした。新しい志願者が入会してはヨーロッパに発ち、移動の多い会となったし、私たちもますます日本人らしくなって行った・・・。
 共通言語は、原則だけでなく実際に日本語になったし、何ヶ月か前からは、パリから戻ってきた日本人会員が修練長となった。会の3人の立願者もますます多くの責任を担っている。
 今や私たちは「行いの規律」だけでなく「会憲」も日本語のものを使っている。そして近いうちに「ソメール」(「聖イグナチオの会憲大要」)も翻訳できることを期待している。とはいっても、もう誰もフランス語を話さないわけではない。日常会話でフランス語と日本語を混ぜて話すのをやめたわけでもなければ、日本語が母国語でないものに主が言葉の才能をおあたえになったわけでもない。
 「ソメール」に関するベルギー人神父による月例会は今では日本語で行われ、8月には3日間の静修をはじめて日本語で行った。
 養成と情報収集のための機会も他に私たちにあたえられた。毎年院長と修練長の会議が開かれ、他の修道会とも大変興味深い接触と交換ができる。会のシスターのうちの二人は若い修道女のための3日間の集まりにも参加させていただき、またイエズス会神父による大学の神学の講義も用いている。
 共同体はますます大きくなっている。いまや日本人のノビスが6人おり、年末にはパリに出発することになっている。私たちにとってそれは犠牲ではあるが、初期の姉妹たちがこれから後継者に伝えていかなければならないマリアの御心会の精神の源を汲み取ることを幸せに思い、これを喜びをもって受け入れている。
 最後のものが出発するまでに、志願者が何ヶ月かの間、もっと組織立った生活ができるだろう。それは志願者の人数も多く(4人)、専任の修練長もいるからだ。
 日本的になっていくと共に、私たちの共同体はより深く「一つの心」に入っていき、本部ともより強く結ばれるようになった。私たちの管区長となったパイヴァが定期的に訪問されるという、大きなお恵みを頂いているからである。
 彼女が立ち寄るたびに喜びと精神と宣教の再生ができ、マリアの御心会の他の人たちのニュースを聞いて、彼女たちや、特にインドの姉妹とのつながりをより強く感じる機会となる。私たちはボンベイの修練院と聖歌と祈りの録音テープを交換する。パイヴァはいつもインドのいくつかの共同体のスライドを持ってきて下さる。
 1966年7月、最初に到着して以来これほどよく働いて7年間を日本で暮らしたアンケが私たちを離れた。日本人の姉妹の一人がアフリカのマダガスカルに発ち、逆に1967年3月、カマショを迎える喜びを得た。これから2年間、この難しい日本語の習得のために語学学校の机に釘付けにされる番である。勉強が彼女にとってもっぱらの仕事となるだろう。
  イエズス会の大学が近くにあり、私たちの少人数にもかかわらずよく面倒を見てくださるので、私たちは広くその援助の恩恵にあずかることができる。つき一度の聖体礼拝と静修の一日は講話で終わる。1966年には3日間の静修が始めて共同で行われ、それ以来習慣になっている。そして1968年には会員のために、もちろん日本語で、黙想会があった。(終わり)

−稲子あゆみ訳− 

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