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「主は私たちと共に今もいつも生きておられる」不思議なことに、復活した主は福音書の中で、苦しみ、希望を失ったような時や、人間の力ではどうにも出来ない時に、ご自身を現して下さいます。 マグダラのマリアが主の墓の前で、愛する主の身体がどこにあるのかわからなくて泣いていた時、主が現れ、彼女を失望のどん底から希望と喜びで満たし、証人として派遣の使命を頂いた者へと変えられていきました。(ヨハネ20章11節から18節) あんなに愛してくださった主を置いて逃げてしまった弟子たちには、かれらが恐ろしさと罪意識で絶望のため部屋に閉じこもっていた時、「あなたがたに平和があるように」と言って現れ、息を吹きかけ、罪の許しの使命を与え、遣わされるものへと変えて下さいました。(ヨハネ20章19から23) 12人の弟子の一人のトマは、自分がいない時に主が現れたことを聞き、自分だけがのけ者にされたような寂しさとねたみや疑いの心で信じられない、希望のない暗闇の時を過ごしていました。そのとき、主が現われ、「あなたがたに平和があるように」と、すべてをご存知で愛して下さる主に出会いました。そして、「信じないものでなく、信じるものになりなさい」と呼びかけられたトマは、「私の主、私の神よ」と信仰宣言をする者へと変えられました。(ヨハネ20章24から29) イエズスに賭けようと生きていた弟子たちが、主のいない寂しい生活の中で漁に出かけ、魚が一匹も取れない虚しさを味わっていた時、湖の向こう岸から主が「子たちよ、何か食べるものがあるか」と聞かれ、弟子たちが何もないことを伝えると「舟の右側に網を下ろしなさい」といわれ、その言葉に従うと大漁になりました。主は岸辺で、炭火を起こし弟子たちの為に食事の用意をして待っていました。主は、日常生活の中で苦労をし実りのない徒労と虚しさに覆われる時、いのちの食べ物を用意して与えて下り、生きる者へと変えて下さいます。(ヨハネ21章1から14) 3度もイエズスを否んで罪悪感で傷ついているペトロに対しては、主は「私を愛しているか」と3度も問われました。ペトロは痛みの中で真実な心を引き出され、主が限りなく赦し愛して下さる心に触れて癒されました。自分の力でなく、弱さの中に働く神の力を信じて歩む恵みを頂いただけでなく、さらに神の民を導く使命を与えられました。 (ヨハネ21章15から19) イエズスこそ救い主に違いないと信じ、従ってきた2人の弟子は、見るも無残な無力な死を遂げたイエズスを見て、恐ろしさと先が見えない失望と暗闇の中で、エルサレムからエマオに逃げるように旅をしていました。その途上にひとりの旅人が現れ一緒に歩まれました。2人の弟子はこの旅人が主だと気づきませんでしたが、道々話される言葉に心が燃え、一緒にいたいと思うような親しい存在になっていました。夕方になり一緒に夕食をと誘い、旅人がパンを裂き与える姿に主であることに気づきました。今まであんなに恐れ逃げてきた所エルサレムに、喜びと希望のうちに戻っていきました。復活した主に出会った喜びを弟子たちに伝える証人と変えられたのです。(ルカ24章13から35) 現代に生きる私たちにも同じように、苦しみ悩み希望のない暗闇の時に、ご聖体の主に力を頂き、再び元気に生きることがあります。 EO | |||||||||||
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