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東チモールで出会った友達

東チモールに行ったのは2001年5月だった。その半年前まで、私は東チモールという国はいったいどんな国なのか、世界地図ではどこにあるのか、などのことをまったく知らなかった。そのとき私は、まだホーチミン市のホテルで秘書として働いていた。隣の同僚、メーリと呼ばれる女の人が仕事を辞めて、東チモールへ働きに行こうとしていることを聞いた。彼女の話を聞いて初めて私には東チモールのことが少し分かってきた。

東チモールは豪州の近くにあり、小さな島国である。首府はヂリという。アジアの国だが国民は豪州の土着民(土民)のように肌が黒くて、髪が渦巻きだ。四百年前からポルトガルの殖民地で98%ぐらいの国民はカトリックの信者である。そして、1975年からインドネシアに支配されていた。やっと1999年の8月に独立を宣言した。独立宣言により、同年の翌月、東チモールの国民はインドネシアと残酷な戦争に陥った。それをきっかけに、国際連合の軍隊が平和を守るために、東チモールへ派遣された。同時に、国々の政府開発援助(ODA)や非政府機構(NGO)などの専門家も、新しい国を支えるために、多く来るようになった。しかし、新しい国が全面的に貧乏しく、外国人の専門家や軍隊の生活はとても不便だったそうだ。

その背景の中で、シンガポールの投資者たちは、急いでスーパー、ホテル、レストランとなどを建てた。客と消費者はもちろんお金を持っている外国人だった。だが、東チモール人はホスピタリティ的な考え方や親切なもてなしの仕事はまだ知らないから、ホテルの職員も外国人だった。そこで、メーリのように英語が話せてホテルの仕事に経験がある人が必要だった。メーリと、他のベトナム人全部で三人の男と二人の女はホテルで働き始めた。

ベトナムでは毎日、二人は仕事をしながら冗談ばかり言っていて楽しかったので、彼女が仕事を辞めた後、私はとても寂しかった。ある日、やっと彼女からメールが届いた。皆は元気そうだった。三人は受付、他の二人は調理を担当したそうだ。給料も高いし、ホテルの生活もそんなに不便ではなかったそうだ。そして、ちょうどもう一つのホテルが建てられた機会に、彼女が紹介してくれたおかげで、私は採用され、東チモールへ行くことになった。しばらくだけ外国へ行って、その高い給料でお金が溜まったら、帰るときかなり貯金があるだろうと思ったからだ。

東チモールの首府ヂリに着いた最初のとき、空港からホテルへ向かっている道で、半分壊れた家と枯れたバナナの木ばかりの、荒廃した光景が目に入った。そして町はメーリの話通りに本当に貧しそうだった。独立の日からもう2年経ったのに、ほとんどまだ何も建設されていなかった。ただ、いくつか小さなスーパー、レストランとホテルだけが一時的に建てられていた。

私のホテルでの仕事は、事務所だった。仕事の内容は、ホテルの書類と経理以外に、お客さんにホテルを紹介し、お客さんの文句や要求を聞いてマネージャーに報告するというものである。東チモール人の労働者の役割分担は次のようだった。現地人の労働者は全部で12人だった。6人の男の人はセキユリティで、6人の女の人はハウスキーピングをした。外国人の労働者は中国人のマネージャーと、もう一人の中国人のハウスキーピングのスーパーバイザーと、私。受付はインドネシア人の女の人だった。

最初の日から東チモール人は私にとても親切にしてくれた。サンチアゴという名の男性は車でドライブをしてくれたり、おじさんのトマスはインドネシア語を教えてくれたりした。ある日、私が「最近、髪の毛がよく落ちるんだ。」というと、ジョセは、「リダブアヤで治るよ。」といった。「リダブアヤとは何ですか。」と聞いたら、それはアロエの葉だと教えてくれた。その葉の肉を頭の皮膚に塗ったら、髪の毛が丈夫になって、もう落ちないようになるということが分かった。ジョセは「お祖母ちゃんの家にはたくさんあるから、明日持って来るよ。」と、さらに付け加えた。次の日、ジョセは朝早く、手にリダブアヤがいっぱい詰まった2つの袋を持って来て、笑いながら言った「ミースハン、これから髪の毛はもう落ちないよ。リダブアヤがあるから。僕がホテルの庭に植えたら、すぐいっぱいになるよ。」すると、ホテルの後ろの庭へ行って、そこでリダブアヤを植えた。

東チモール人は本当に純粋な心を持つ人々だと感じた。好きだったら好きという。嫌いだったら嫌いという。その東チモール人の友達は、人が丁寧に話しかけると、すぐ嬉しそうな顔をして親切に優しくしてくれた。2年間東チモールで私は本当に友情の暖かさを感じた。その友情のおかげで、その2年間は面白くて良い思い出ばかりだった。

他の労働者も私にとても仲良くしてくれた。ハウスキーピングのドミンガスたちは、勤務時間が終わるとすぐに帰らず、よくホテルに残って私と遊んでいた。ときには一緒にバドミントンをしたり、ときにはチモールの伝統的なダンスを教えてくれたりした。私も料理を作って彼女たちと一緒に食べるのが好きだった。セキユリティのイナシオは、時々私の白髪を抜いてくれたりした。受付のヤニはおしゃべりが好きで、ほとんど毎晩、話相手になってくれた。

労働契約の通りに、東チモールで働いていたのは2年間だった。ずっとその2年間、家族と離れて一人で外国に住んだのはとても寂しかったが、私を精神的に支えたのは友達の友情だった。

先月、朝日新聞に、東チモールでまた内戦が起こったという記事があった。長く外国から支配されていた末に独立できたのに、なぜ一緒に平和で暮らせないのか。東チモールはまだ貧しくて、それなのに、そんな戦争のため、国民の苦しみはどんな極限に至るだろう。向こうの友達は皆今どうしているだろうかと、悲しく思った。こちらは皆がいつも元気でいるように願っている。

N.T.H

(私たちの友人、NTHさんが書いてくださったものです。私たちも東チモールをはじめ戦禍に苦しんでいる方々のために祈りましょう。)



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