|
|||||||||||
旅人の荷物
毎夏、家族が休暇旅行に行くとき私は留守番役をかってでて、いつも家に残る方を選びました。私はバスや車にたいへん酔いやすく、乗り物を見ただけでも乗る前から気分が悪くなるほどだったのです。 事態が変わったのは「生まれた国を離れて外国に行きなさい」という神様のみ声に応えてインドに行ってからでした。インドで郊外から都市部に向かう列車に初めて乗った日、車内を盛大に汚してしまったことは忘れられません。神に感謝、幸いなことにそのコンパートメントには私と友人だけしか乗っていませんでした。移動のたびに私は半分死んだようになりながら、一刻も早く乗り物から解放されて“復活”することだけを待ち望むのでした。 さまざまな公共交通機関を利用して大都市から乾燥した荒地地帯へ、湿地帯から地方の村へと、移動を繰り返す人生が始まりました。 自分の国に帰ったとき、私は以前とは全く違う職業につきました。数多い僻村のさまざまな発展プロジェクトの調査員、指導員として、背中に荷物を背負い沿岸地方から山奥まで、自国のほとんど全域を旅しました。今私が接しているのは、ストリート・チルドレン、人身売買された子供や女性たち、声なき社会的弱者たち、貧しく、ほとんど教育を受けたことがない人々です。 遊ぶとか何か新しいことを考え出すということを全く知らない子供たち。彼らは学校をやめて、一日中、野良仕事や家畜の世話をして働いています。彼らの食物は山から採ってくる草や山菜だけで、肉や魚の匂いをかいだことすらありません。一部の子供たちは雨季に学校に行くことができません。着替えがなく、たった一枚のシャツは翌日まで乾かないからです。豪雨と洪水は、彼らの本や文房具だけでなく命さえ奪い去ります。
漁業で生計を立てる海上生活の村を訪れていたとき、魚が獲れないと一家にはその翌日、食べる物が何もないということを知りました。井戸水に塩気があったり泥が混じっていたりして飲料水が貴重な土地で、私は貧しい人々の暮らしの実際を知り、その経験は私の物質的な欲求やこだわりを減らし、貧しい人々の暮らしに対する配慮と関心を増加させました。私は人々のニードや困難を旅行バッグに詰めて都会に持ち帰り、自分のネットワークを使って情報発信したり、彼らの生活向上のために役立ちそうな支援プロジェクトを探しました。 今年の収穫がほとんどなく、やがて飢餓に直面することが確実な少数民族の部族があります。文盲の部族で伝統的な生活習慣と農耕方法を守っています。その文化や習慣にはすばらしいものもあれば、病気や低栄養によって命をおびやかす面もあります。どうすれば彼らに近づき、その生活を改善し豊かにすることができるでしょうか? その思いは、他の土地に向かうために彼らの住む山を降りてからも私の頭から離れません。
旅をすればするほど、私の旅行バッグは軽くなっていきます。愛と共感の心が大きく育つスペースを作るために、物質的な中身は減って行きます。今なら、どうしてイエスが弟子たちに「財布も袋も履物も持って行くな」(ルカ10:4)とおっしゃったのかがより深くはっきりと理解できます。“もの”は私たちにまとわりついて人生の足取りを重くさせることがあります。物質的なことから解放されると、私たちの心に人々とその生活を思いやる余裕が生まれます。私たちの身体には限界があって、重い荷物を背負っているときには霊的、精神的に大切なものを運ぶことはできないのです。 天を見上げて、深呼吸しながら祈ります。私の荷物がもっと軽くなり、私の心が私が行く先々で出会う人々への愛で満ち溢れますように。 神の愛が人々の生活に染み透り、香り立ちますように。 TD |
|||||||||||
|
|||||||||||
| HOME>生活スケッチ | |||||||||||
Copyright(c)2008 Daughters of the Heart of Mary All rights reserved.