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フオン・ランさんのこと
フオン・ランさんのお父さんは地雷を踏んで片足をひざの下から失った障害者で、ランさん自身はその地雷の破片が目に入ったのが原因で視力を失ったのです。最初は片目だけ痛めつけられたそうですが、十分な治療を受けることが出来なかったために疾病は両眼に及んでしまいました。彼女が3歳のときでした。お父さんは当時、旧政府軍につく仕事をしていたために、戦後も大変苦労していました。現在も市場でバイク駐輪場の管理で細々と生計を立てています。子どもたちはとても立派に育ち、何人かはアメリカで大成功を収めています。ランさんは末っ子です。 お母さんは、ランさんを不憫に思い、小さいときから学校への送り迎えだけでなく、授業中もランさんとともに授業を受けて、活字を点字に直してランさんがほかの生徒たちと一緒に勉強できるように手助けしていました。特に、中学に入ってからは、娘と一緒にクラスに並んで英語を勉強したと言います。 ランさんは、そのような両親のもとで育ちました。大学では英語を専攻したと聞いています。そしてその持って生まれた知性と感性を生かしてホーチミン市の盲学校で英語の教師として教壇に立ったこともあるし、ベトナムの17弦琴を弾きこなして清眼者に感動を与えました。日本に留学する前には、日本語も勉強していました。 沖縄での勉強中は、一方ならぬ苦労があったと思います。外国語である日本語も十分でない上に、授業中には生物学、生理学また医学に関する専門用語が頻出したのですから。土曜日・日曜日は部屋に引きこもって猛勉強していたらしいことは、他の盲学生たちが彼女に対して「人付き合いの悪い人」という印象を持っていたことを聞いて納得しました。 夏休みにベトナムに帰国しても、家族との団欒どころではなく分厚い点字書をかかえてベトナム在住の知り合いの日本人たちに専門用語の説明を聞いて勉強していたと聞いています。 今年の春、無事に卒業式を終え、国家試験にも合格して晴れてベトナムに帰国したフオン・ランさんはベトナムの、まだまだ恵まれない後輩たちの育成のために尽くしたいと言っていました。 ここに、沖縄盲学校卒業式で彼女が読んだ答辞をご紹介したいと思います。
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