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神様にはできないことはない私がイエスと出会ったのは、30代も後半のことでした。私は一瞬にしてイエスに夢中になりました。そして、授洗前から、なんらかの形で生涯を神に捧げようと決心していました。 ある日、友人が「神の愛の宣教者会」という修道会のパンフレットを見せてくれました。わくわくしながら、それに目を通すと、最後のページの入会の条件のところに、35歳未満と書いてありました。 二つの思いが頭をよぎりました。ひとつは、「もし私が修道生活に入ることを主がお望みなら、もっと早く私を呼ばれたはずだ。」もうひとつは、「もし、主がそう望まれるなら、神様にはできないことはない。」というものでした。 洗礼を受けてから1年が過ぎ、神様に導かれたかのように、新しい職場で働き始めました。これこそ主からの答えであると感じました。それは児童福祉、特に障害児教育に関わるカトリック機関でした。私は障害児教育に関わる人を養成する小さい定時制専門学校の担当となり、そこでは、学生たちは障害児教育に関する最新の情報や特殊教育を学んでいました。「これこそ主の約束の場所」と思い、一心に仕事に励みました。 ある日、入学願書に目を通していると、マリアの御心会のSさんという名前がありました。願書には、特記事項として、「会の方針に従い、修道者という身分を伏せていただきたく、よろしくお願いいたします。」と書かれていました。このとき初めて、外的なしるしを一切持たず、また会員はその身分を明かさないユニークは女子修道会があるということを知りました。しかし、この時点では、この修道会に興味を抱きませんでした。昔ながらの修道生活のイメージにこだわっていたからです。 S さんは「来て見なさい」という月一回日曜日に行われる独身女性のための祈りの体験プログラムに私を誘ってくれました。私はいろいろな理由をつけていき渋っていました。当時、わたしはカトリック聖霊刷新祈りの集いのメンバーでもありました。 Sさんは、その後も無理強いせずに、祈りの会に誘い続けてくれました。時には、お菓子をもって、早めに登校し、お茶を飲んだりしました。修道者であるSさんが友達としていろいろ助言してくれるのを嬉しく思いました。 その夏に、Sさんは私を、「来て見なさい」の三日間の黙想会に誘ってくれました。その黙想会の指導者が尊敬しているイエズス会の神父様だったので、参加することにしました。 第一日目、神父様に指導を求めました。面接の終わりに、「ところで、修道生活について考えたことはありますか。」と問われました。私は、修道生活を送りたいと望んだことはあるが、状況からして、召しだしはないと思うと答えました。神父様は私の話をじっと聴いているだけで、なにもおしゃいませんでした。 神父様の質問に私は、ショックを受けました。部屋に戻り、このことについて、もう一度考えてみました。結論は同じでした。つまり、「今与えられている仕事こそを、私のすべてを知っておられる主が私に与えてくださったものだ。だから、修道生活はわたしの道ではない。」 翌日の昼食後、祈りにも飽きて、何か読むものを探していました。読書が趣味でしたが、聖書を読む気はしませんでした。食堂の片隅のテーブルに小さいパンフレットが置かれていました。 表紙には、「マリアの御心会―この世のものではなく、この世のただ中に生きる」と書かれていました。読んでみると、会の歴史についての短い説明と、会の特徴として、「外的なしるしをもたないこと」また、「真の修道生活を柔軟な形で生きること」が書かれていました。読み進めていき、「入会するために、必ずしも、仕事や家庭を離れる必要はない。」という箇所にきたとき、私の心と魂の奥深くで、つかえがとれたような気がしました。「では、今の仕事を辞めなくてもいいのだ。」 すでにSさんから、会の特徴をきいてはいましたが、このときまで、それを自分の召し出しと結びつけて考えたことがありませんでした。その後、私の世界は一変したように思います。私の目が開かれたからです。 すると、今度は、ためらいと恐れにとらわれました。無謀な望みではないだろうか。すると、私の心にこんな声が聞こえたようなきがしました。「今うまくいっているし、それで十分である。主のために、今もっているものをすべて捧げなくてもよい。」そのとき、ハワイの親友のところに遊びに行く計画を思い出しました。年一回ハワイの友人のところに行くのは一番の楽しみでした。「まあ、これをあきらめなければならないのかしら。」次にたまに食べにいくおいしい食事を思い出しました。「これもあきらめるのかしら。」また、自分の自由も大切でした。「何でも許可を求めなければならないのかしら」「もし、院長様がだめと言ったら、友達を助けることもできなくなるのかしら。」 もし修道会に入ったら失うであろうものが次々に頭に浮かびました。この世を離れたくないと思う一方で、主の呼びかけに答えたいと望んでいました。イエスにノーと言ったら、イエスはもう私の主ではなくなると思いました。もし、自分の望みに従って決断するなら、それが「はい」でも「いいえ」でも、私の人生の主人は、イエスではなく、私になってしまいます。私は、イエスが私の主であってほしいし、また、ハワイやおいしい料理やそのほかのものを手放したくなかったのです。めまいがしました。考えが堂々めぐりをし、四六時中、混乱し動揺していました。 さて、翌日は、黙想会の最終日でした。混乱したまま、朝の散歩に出かけました。気持ちのいい夏でした。田んぼのあぜ道を歩いていると、用水路にかかった小さな橋を見つけ、腰を下ろしました。青い空と白い雲を見上げながら、とりとめもなく考えにふけっていました。 突然、賛美歌が心に浮かび、一人で歌いました。 主イエス、神の愛、十字架で命を捧げられた 最後の歌詞を歌おうとして、息をのみました。それは、こうでした。 わたしはすべてをあなたに捧げます。 エレミヤのように、主と戦って、主が勝利し、私が敗北したことを感じました。ついに、私はイエスに「はい」といったのです。負けたことがなんと嬉しかったことでしょう。私の心は喜びに満たされました。それは1999年8月22日のことでした。ずっとあとになってから、その日が天の元后聖マリアの祝日であることを知りました。 一ヶ月後、私は、マリアの御心会の前志願者になり、翌年、志願期に入りました。その2年後、勤務していた学校が閉鎖されたことは予期せぬことでした。 主がこれからも、神様にはできないことはない、ということを、たくさん示して下さいますように。 (N.K) | |||||||||||
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