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カプチアンで体験したこと・学んだこと (2)
家庭訪問ではあまり大きな驚きはなかった。私は日本がまだ金持ち国になりきっていなかった時代の生活をかろうじて知っている世代である。私が幼いころ、友人の家では一家が四畳半に暮していた。わが家は四畳半と六畳の二間で、風呂場はないので公衆浴場に通っていた。家に風呂ができてからも燃料は薪と石炭だった。家具もなべ・釜も食器も、決して豊富にはなかった。だからフィリピンで貧しい暮らしを見てもあまり驚きはなかった。 むしろ、日本社会がすさまじい経済成長と都市化と引き換えにこの数十年の間に失ってしまったもの−助け合う心、分ち合う心、ご近所のつながりなどがフィリピンではまだ健在なことにほっとしてしまうのだ。ただし、私は飢えは経験したことがない。今回訪問した6軒の家庭の中にも満足に食べられない家庭があると後で聞き、子どもたちに充分食べさせられない親の気持ちを想像すると、自分は食べ物に苦労しない生活をさせていただいていることが申し訳なくなる。 私にとって大きなチャレンジとなったのは『水』だった。宿舎のある地域は水道があるのだが、タンクの清掃をしているということで今回の滞在中は蛇口から水が出ず、汲み置きの水を節約しながら使わなければならなかった。さまざまな理由で日常的に断水があるらしく、汲み置きようの空き瓶やポリバケツはたくさん用意されているが、宿の女主人は“おおらかな”人なので、いつ汲んだ水なのか分からない!
洗った食器を積み上げて水を細く注ぎながら、上にあるものからすすぎを仕上げてゆく方法を教わったが(流れ落ちる水で下にある食器の泡も大方落ちるというわけ)、食器用洗剤の毒性を叩き込まれている日本人としては「ウーム」。さらに水そのものの清潔度が不明とあってはもう一度「ウーム」。 汗を流そうとしてシャワー用の水を汲み置いた大きなポリバケツのふたを開けると、古い水によくあるように表面に油膜のようなものが浮いている。水を汲む手桶は水垢でヌルヌル。ここでまた「ウーム」。 正直言って、首から下はともかく、髪と顔にはかけたくない水だ。でも子どもたちと遊んだり、バイクで家庭訪問したりの一日で全身汗とほこりにまみれ、洗髪なし、というわけにはとても行かない。時間稼ぎのように手桶の水垢をこすり落としながら躊躇していると、昔読んだ本の一節を思い出した。 ニューギニアの山岳民族を訪れた日本人ジャーナリストのルポだった。唯一の水源である雨水を溜めた水がめにはボウフラがわいていて、水を飲む時はまず瓶の胴の辺りをトントンとたたくとボウフラが沈むので、それから手のひらにすくって飲むのだと書いてあった。あらためて目の前の水を見ると、ボウフラもいないし本に出てくる雨水よりは数段ましだ。思い切って頭から浴びることにしたが、間違っても目と口に入らないように両方とも固く閉じていたことはいうまでもない。今となってはいい思い出である。 私が少しでも豊かな体験学習をできるようにと、自身の多忙さを省みず家庭訪問の手配をはじめ、いろいろと面倒を見てくださったOにあらためて感謝したい。
泊りがけでカプチアンを訪れるたび、まだ自分たちの家がないために入浴や洗濯をするにも女主人に気兼ねが必要な宿舎に滞在しながら、また、ときとして数日間ミサにもあずかれない環境の中でミッションを進める大変さを少しずつ知った。家庭訪問のために、痛む足で山道を登りながら、Oが言った。「時々、あと10歳若かったらって本当に思うわよ。」 そして、心からくつろぐことのできない宿舎をはじめとする住環境についても、「不便さにも慣れるわよ、人間は。」と話してくれたのが心にのこった。修道生活というのは、いくつになっても、どこまで行っても、奉仕と犠牲なのだと思った。 現地語で『白い砂がいっぱい』という意味のカプチアンの、その名のとおり白く美しい砂浜と元気いっぱいの子どもたち、お母さんたちの笑顔とあたたかく受け入れてくれるホスピタリティーを、日本に戻った後もよく思い出す。 『いつフィリピンに戻ってくるか』とたずねられて『分かりません』としかこたえられなかったけれど、『いつかまた来て、ここで働きたい』と言ったのは嘘ではない。貧困や飢え、子どもの労働や無教育などの悪と不正義をなくす努力の一方で、消費主義や物質主義の肥大化する欲望に踊らされず、助け合い、分ち合う、あの心の豊かさを失わないで欲しいと心から願っている。 (O.N) | |||||||||||
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