喜びの時です。さあ、喜びましょう。キリストは私たちのためにお生まれになりました。神は王です。世界よ、喜び踊りましょう。平和と栄光。天は神に歌を歌い、神の名を賛美しますように。天地は喜びにあふれ、海とそこに満ちるものは叫びを上げますように。
しかし、今日、世界を眺めるとき、平和がありません。
今年のクリスマスは、イエスは茨の冠をかぶってお生まれになるようです。惨めさの中にいる何千人もの子どもたちを見てみましょう。今日、多くの罪のない子どもたちは悪の犠牲になっています。私たちは、これらの子どもたちの叫び声を聞くことができますか?
何人かの子どもたちが、まるで猫か犬のように戦争で死にました。何人かは、たきぎのように焼かれました。このような状況を許している自分は、果たして人間と呼ばれる価値があるでしょうか? 毎日、妊娠中絶(堕胎)によって多くの命が奪われています。これらの子どもたちは、声を出すこともできません。私は、母が私の幼児期にどんなに私を愛していたかを覚えています。ある子どもたちは、労働においてまたは売春をさせられて虐待されています。ある子どもたちは、HIV・エイズと他の病気を患っています。ある子どもたちは、住むところがなくて空腹です。ある子どもたちは、両親の不和からくる家庭内の争いで暴力、復讐、けんかと殺害におびえています。これらの子どもたちは、現代の世界の悪の犠牲者です。私は、これらが現実の現代の世界のことなのか、あるいは非現実的な世界で起こっていることなのかについて疑問に思いたい気分です。
私は、私の受けた教育がひとを愛することに導いているのか、または私の心を憎悪でふくらませ苦さに導いているのか、自問せずにいられません。幼児期に輝かしい幸せな日々を送ることになっていたはずの子どもたちは、この世界の悪によってぼろぼろに破れています。
キリストは、質素な馬小屋で生まれて、飼い葉桶の藁(わら)の上に寝ています。キリストは、この世界に希望と確信をもたらすために、そして私たちに平和と喜びを与えるために、また、私たちに許すことと愛することを教えるためにこの世に来られました。私たちが現代の世界を見るとき、キリストは茨の上に生まれたように見えます。茨のとげは、助けもなく弱い子どもたちの心、柔らかい皮膚、魂、精神に痛々しく突き刺さっています。私たちは、自分がとても無感覚で、彼らが苦しむことに対して心が石のように固いのを見ます。どのようにして、私は彼らの惨めさに対する私の責任をもっと知ることができるようになれるでしょうか? 神の国は、これらの子どもたちのものです。
惨めさの中にいる子どもたちの涙と悲しみは、決して真実の幸せと平和を与えません。彼らがもはや苦しまないように、神はこれらの子どもたちに恵みを与え、冠のとげを花の飾りに変えてくださるかもしれません。彼らは幸せな幼児期を楽しんで、神の子どもとして、生きる権利を与えられるはずなのです。 世界中で苦しむ子どもたちのために光と喜びが与えられるようにこのクリスマスを祝いましょう。世界中の子どもたちが平和、幸せ、愛を経験できるように、神の平和の道具となりましょう。
(JS)
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